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2025.07.25

羽生結弦さんが被災地で感じた「寄り添う」ことの難しさ 世の中は希望より絶望があふれている?【第3回】

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 永井玲衣さんの哲学対話の問いだしでは、鳥のぬいぐるみを持っている人が問いを話す人。途中で言葉に詰まっても「鳥を持っている間は考えているよ」というサインです。
 また、参加者は仮の名前にしてもらって、普段の役割をちょっと脱いだ状態で問いを深めます。

 仮の名前は、以下の通り。
  羽生結弦さん=まえがみ
  永井玲衣さん=ねぐせ
  記者①=とけい
  記者②=なつ
  記者③=たんしゃぶ

 前回の哲学対話の最後では、たんしゃぶさんが投げかけた「幸せってなんだろう」という問いを受け、まえがみさんが「あの人が幸せだから、私は幸せではないという感情(ねたみ)」が生まれてしまうのはなぜだろうか、と問いかけました。 問いだしが続きます。

地震の時に津波を見ていない自分は「当事者」なのか?

問いを深めるまえがみさん
ねぐせ

ねぐせ

ねぐせです。これも最近よく聞く言葉で、「当事者」って誰のことなんだろうというのが、すごく「ずーん」ときています。私は全国いろんな場所に行くんですが、それこそ被災地とか、強い体験をしている地域に行くことが多いんですね。


そこで見聞きした話を、例えば大学とかで学生さんにシェアすると、「自分は当事者じゃないから考える資格がない」とか、「当事者じゃないから分からない」ていう風に言われてしまったりして。


その時に「えっ」って。「当事者」って何のことなんだっけ?ということを思うと同時に、当事者じゃないから○○(まるまる)ていうのは、もちろん当事者だから分かることっていうのはある一方で、当事者じゃないから分からないっていうのは、どういうことなんだろうと。


しかも、その時の分かる、分からないっていうのは、一体何なのだろう。たぶん「」(かぎかっこ)付きの「当事者」同士であっても分かることは違うだろうし…。この言葉って何なんだろう? 終わりです。

なんか、当事者。あのー。僕は被災地をいろいろ回ったりとか、被災された方に会ったりすることがあって。それで僕は(東日本大)震災当時、それこそすごく悩んだのは、津波に遭ってない。津波を近くで見ていないし、津波で亡くなった方がその、近い方ではいない。だから「お前、当事者じゃないから分からないだろう」みたいなことをすごい考えていたことがあって。


僕は今も被災地に行っていてすごく思うのは、「心を寄り添わすって何?」ということをちょっと思っていて。

まえがみ

まえがみ

(一同、「うんうんうん」)

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