永井玲衣さんの哲学対話の問いだしでは、鳥のぬいぐるみを持っている人が問いを話す人。途中で言葉に詰まっても「鳥を持っている間は考えているよ」というサインです。
また、参加者は仮の名前にしてもらって、普段の役割をちょっと脱いだ状態で問いを深めます。
仮の名前は、以下の通り。
羽生結弦さん=まえがみ
永井玲衣さん=ねぐせ
記者①=とけい
記者②=なつ
記者③=たんしゃぶ
前回の哲学対話の最後では、たんしゃぶさんが投げかけた「幸せってなんだろう」という問いを受け、まえがみさんが「あの人が幸せだから、私は幸せではないという感情(ねたみ)」が生まれてしまうのはなぜだろうか、と問いかけました。 問いだしが続きます。
地震の時に津波を見ていない自分は「当事者」なのか?

ねぐせです。これも最近よく聞く言葉で、「当事者」って誰のことなんだろうというのが、すごく「ずーん」ときています。私は全国いろんな場所に行くんですが、それこそ被災地とか、強い体験をしている地域に行くことが多いんですね。
そこで見聞きした話を、例えば大学とかで学生さんにシェアすると、「自分は当事者じゃないから考える資格がない」とか、「当事者じゃないから分からない」ていう風に言われてしまったりして。
その時に「えっ」って。「当事者」って何のことなんだっけ?ということを思うと同時に、当事者じゃないから○○(まるまる)ていうのは、もちろん当事者だから分かることっていうのはある一方で、当事者じゃないから分からないっていうのは、どういうことなんだろうと。
しかも、その時の分かる、分からないっていうのは、一体何なのだろう。たぶん「」(かぎかっこ)付きの「当事者」同士であっても分かることは違うだろうし…。この言葉って何なんだろう? 終わりです。
なんか、当事者。あのー。僕は被災地をいろいろ回ったりとか、被災された方に会ったりすることがあって。それで僕は(東日本大)震災当時、それこそすごく悩んだのは、津波に遭ってない。津波を近くで見ていないし、津波で亡くなった方がその、近い方ではいない。だから「お前、当事者じゃないから分からないだろう」みたいなことをすごい考えていたことがあって。
僕は今も被災地に行っていてすごく思うのは、「心を寄り添わすって何?」ということをちょっと思っていて。
(一同、「うんうんうん」)
あわせて読みたい

羽生結弦さんが抱く、身体表現と言葉を巡る疑問 普段の役割から離れて考える【第2回】
2025.07.11

羽生結弦さんが語る、哲学との出合い 子どもの頃から感じてきた「意識って何?」【第1回】
2025.06.29



大人スケート教室が盛況 羽生結弦さんやアニメきっかけ 進む少子化、普及の新機軸
2025.04.07
