フィギュアスケート男子で冬季五輪を2連覇した仙台市出身の羽生結弦さん(31)が7日、宮城県利府町のセキスイハイムスーパーアリーナで東日本大震災から15年に合わせたアイスショーに出演し「15年という時がたったからこそ、より一層、輪や絆を感じられるようにしていきたい」と思いを語った。
音楽家の故坂本龍一さんが被災3県(宮城、岩手、福島)の若者と立ち上げた東北ユースオーケストラが演奏する新演目「Happy End」と「八重の桜」を披露。美しい旋律に乗せた優雅な鎮魂の舞で、約6500人の観客を魅了した。
公演後に取材に応じた羽生結弦さんのコメント全文は次の通り。
東日本大震災から15年
―久しぶりに皆さんの前で演技したと思うんですが、いかがだったでしょうか。
「もうすごい緊張しました。何ですかね、やっぱりこの緊張感というか、やっぱり期待をすごく浴びながら、それに応えたいという気持ちがものすごく強く強くあふれていたので、自分の手足、本当に震えるほど緊張はしたんですけれども、思いも、そして技術もちゃんと込めて滑れたかなとは思います」
―東日本大震災からまもなく15年ですけれども、どういう思いで演技されましたか。
「15年たって、自分自身のその悲しみや傷への向き合い方だったり、付き合い方であったり、そういったことをちょっとずつ理解しながら前に進んできたつもりです。この15年という時があったからこそ、今、逆にその傷に向き合おうという気持ちも出てきたり、逆にあれがあったからこそ、今こうやって学んで生きているんだ、強く生きているんだということを何か表現したいと思って『Happy End』は特に振り付けを自分でしていきました」
―改めて、その被災地の皆さんへの思いというのは、この15年でどんな変化がありましたでしょうか。
「正直、何か大きく変わったなということは正直自分の中ではないです。15年っていうのは、ある意味何か人間的にはその5の倍数って節目を感じやすい数字ではあるんですけれども、確かに福島であったり、宮城もそうですし、岩手も復興が進んだところは進んだし、コミュニティーが復活しているところもあると思います」
「ただ、そのまま取り残されている地区だってありますし、その復興してきたよっていう中にも、中身をのぞいてみたら全然復興していないというか、元に戻るわけではないので、そういった意味では、ずっとずっと応援し続けたいなという気持ちと、自分自身も被災した傷であったり、トラウマみたいなものも、やっぱりずっとずっと抱え続けていくべきなんだな、っていうことを何か理解して付き合えるようになったかなというふうには思っています」
『Happy End』に込めた思いとは
―そういった意味で、先ほどおっしゃっていた『Happy End』に込めた思いというのは、これから未来への思いも思っていうのと、どういった解釈をして演技したものだったか教えてください。
「まあ、めっちゃ苦しいっていう感じです。ひたすら。僕自身が持っているプログラムの一つで、天と地のレクイエムっていう楽曲があるんですけど、それはどちらかというと、その震災に直接気持ちを寄せて、当時のがれきの道であったりとか、あとは空港の周りの車とか、がれきがいっぱい積んであるような道を見渡しているような光景みたいなことを表現しながら、そこに一つの魂が、みたいな感じで思っていたんですけど」
「今回は自分自身の体がむしばまれていったりとか、もちろん坂本龍一さんの曲なので、やっぱりこの曲を書いた当初が、やっぱりその、ずっと病にむしばまれていた頃だったとお聞きしていたのもあって、何か自分が、震災という傷であったりとか、被災地、宮城県、仙台もそうですけど、ちょっとずつちょっとずつ、復興は間違いなくしてるんですけど、ちょっとずつ残っている傷痕であったりとか、僕自身がアイスリンク仙台で滑る時に残っているその壁の傷であったりとか、補修されているけれども見える傷みたいなものを少しずつ感じながらで、それにまたむしばまれながら、自分が苦しんでいるけれども、最終的にはその傷も全部自分なんだって受け入れながら、演技が終わった後に次があるよって思えるようなプログラムにはしたつもりです」
充電期間の発見
―充電期間を経て、久しぶりに人前でというか滑ったと思うんですけれども、改めて新たな発見というか、フィギュアスケーターとして発見があったとか、そういう点はありますか。
「やっぱり体の動きをいろいろ勉強してきたんですけれども、いかにその我流で今までやってきたのかっていうことを改めて発見しました。フィギュアスケートって本当に人気はある競技ではあるんですけれども、実際やっている人口が多いかと言われたら、そんなに多いスポーツではないですし、また、その科学的な根拠のある研究っていうものがたくさんあるかと言われたら、そんなこともないです。そういった研究的には未開発なそのスポーツの中で、どれだけその根拠のない練習と、根拠のない技術を身につけてきたっていうのを、改めて実感しました」
「ちょっとずつですけれども、本当にそんな長い期間やっていたな、長い期間、そのメンテナンスをできてたわけではないので、ほんのちょっとかもしれないですけれども、そのフィギュアスケーターとしてだけじゃなくて、そのスポーツを携わる人間、またダンスに携わる人間として、こういう体の使い方をしなきゃいけないっていう基礎の『キ』ぐらいはちょっと学んでこられたのかなっていう気はしています」
―震災を知らない世代も増えてきている中で、羽生さんとして今後どんな形で続けていこうというイメージはありますか。
「実際に今回コラボレーションさせていただいた東北ユースオーケストラの方の中でも、震災後に生まれたよっていう方もいらっしゃるし、震災当時まだ幼くて記憶がないよっていう子もきっといらっしゃって、そういった子たちがきっと、坂本龍一さんがこうやって募ったおかげで、ずっとずっときっと復興であったりとか震災のこと考えて過ごしていると思うんですよね」
「そういったことと同じで、僕も当時16歳でしたけれども、やっぱり何かこのいろんなインタビューをしていただいたりとか、いろんな記事を書いていただいたりする中で、僕もやっぱり伝えるべき立場として頑張っていかなきゃいけないというか、使命があるんだっていうことを、何かしらその当時、若いながらに何か使命を帯びたような気がしてたんですね」
「そして、今いろんな各地の、能登であったりとか、大船渡もそうでしたけれども、熊本であったりとか、本当に、その東日本大震災だけじゃなくて、その後に起きた災害の地域にも行ったところ、やっぱりあれがあったからその防災の意識が変わって、守られた命もきっとあって、守られた生活もあって、そういったことが伝わっているからこそ、どんどんどんどん減災っていうものは続いていくんだなっていうふうに思ってるんですよね」
「だからこそ、僕らもその当時を知っている人間だからこそ、どんどん世代が若くなっていくし、生まれ変わっていくし、新しい命も芽吹くけれども、そこにこんなことがあったんだよって、こんなことがあったからこういうふうに守るっていうことを学んだんだよ、っていうのはずっと続けていきたいなと思います」
「八重の桜」を選んだ理由
―「八重の桜」を選んだ理由と込めた思いを教えてください。
「まず、コラボレーションさせていただく中で、東北ユースオーケストラさんが弾きたい曲、弾ける曲っていうラインアップの中で、まずいっぱい聴いて選ばせていただいた中の一つです。僕自身、天と地と、というプログラムをフリースケーティングの最後のプログラムとして選んでいたんですけれども、何かそれの続きとして、何か八重の桜というものを演じたいという気持ちがありました」
「実際、大河で使われている楽曲ではあるんですけど、その大河の内容自体にはそんなに干渉はしていなくて、どちらかというと僕自身が天と地とを滑り終わり、このステージに立って、どういうふうに何かこれからの人生を生きていきたいか、そして、何か最終的に僕が演技として、スケートとして、氷の上であったり、皆さんの人生の轍(わだち)の中に何かを残してこられたかなっていうようなイメージで、最後一つ一つ思い出を置いていくみたいなイメージでつくりました」
―こちらの振り付けはご自身で。
「これはデービット・ウイルソンと一緒につくらせていただきました」
座学で得たもの
―『Happy End』はものすごく今までと違う緊張感と力っていうか、あと静けさも感じますが、振り付けの中で重視したところは。
「そうですね、ダンス要素を増やしたなっていう感じはしています。あとは、何か体の使い方の話もすごくしてましたけれども、体の使い方の理論が分かっているからこそできる、その連動性であったりとか」
「実際ボクサーじゃないですけど、ボクサーのそのすごい強い人のパンチって、すごいきれいに体が動いていて、で、その曲線美ってきれいなものがあるんですよね。それと同じように、きっと僕らのその身体表現っていう部分においても、理にかなっているからこそ、人間としてきれいだよねっていう動きがきっとあるなって思って、そういうのをひたすら、なんだろう、感情の土台として何か入れていったイメージがあります」
「平昌オリンピックの後に、その表現って、芸術って、技術が基礎にあるよねっていう話をちょっとさせていただきましたけど、改めてそのメンテナンス期間を経て、その感情を乗っけるためには、やっぱりこういう技術的なこととか基礎的なことがあるから、その上にやっと感情が乗せられるんだなということに気付きながら、一つ一つ丁寧につくったプログラムではあります」
―スピンを多用するというのは。
「何かスピンをステップの中に入れ切っちゃうというか、スピンと演技の境界線をなくすっていう気持ちもありました」
―メンテナンス期間にそのダンスの基礎的なことは座学みたいなのをやった。
「踊る練習の方が多かったですかね。でも、座学的なことも、結局、体の使い方という、いわゆるスポーツ的な考えの方の座学はすっごくやりました。実際にそのトレーニングの手法をいろいろ考えたり変えたりとかしてみたり、フィギュアスケートに何が合うのかなっていうことを考えたりとか、そういう期間でした」
―体は変わった。
「でも何か細くなった気がします」

















