インタビュー

2026.10.22

須本光希さん、会社勤め経て指導者へ「生徒を育てて、全日本にもう一度帰りたい」

デザイン:山田紗英子

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 フィギュアスケート男子で2023年に現役を引退し、今夏から指導者に転身した須本光希さん(25)がDeep Edge Plusのインタビューに応じた。大学卒業後に会社勤めを経験し、再び銀盤に戻ってきた理由とは―。羽生結弦さんやプロ野球阪神、佐藤輝明選手とのエピソードも交え、胸の内をたっぷりと語ってくれた。(取材・撮影:井上将志 デザイン:山田紗英子)

パラスケートの可能性

 ―(東京都内でパラスケートフェスタにゲスト出演し)どのような経緯で関わるようになったのでしょうか。

 「(過去に開催された)大阪と神戸の2回も参加していて、今回3回目なんですけど(日本パラスケート協会で代表理事を務める)早川晃太郎君から、最初大阪でやる時に『演技してくれない?』と連絡をもらって、そこからですね」

 ―早川さんとは現役時代からの知り合いでしょうか。

 「そうですね。知り合いというか、先輩という感じなんですけど。自分が現役時代、福岡に練習に行っていた時にもお世話になった先輩だったので、そのつながりもあって、こうして今も関わらせてもらっているという感じです」

 ―地元の大阪に長年拠点を置いていた須本さんが、福岡で練習するようになった経緯は。

 「飯塚(福岡県飯塚市)で河野由美先生に2年間習っていました。大学3年生、4年生と競技を引退するまでの最後2年間。由美先生のところでやっていて、その時に一緒に練習していたりしました」

 ―早川さんの恩師、中島勇人先生はTeam Yumiですもんね。

 「はい」

 ―まだまだ認知度が高まっていないパラスケートのイベントに参加されて、どのように感じられましたか。

 「大阪で参加した時も兵庫で参加した時も思ったんですけど、間違いなく自分たちより苦しい思いをご家族だったり、ご本人だったりはしていると思うんですけど、皆さん氷に乗ると笑っていて、笑顔で滑っていて、自分たちが苦しんでいたら駄目だなって思いました。今日もそう感じたんですけど、過去に参加した時にそれを思ったので、お話をいただいて、またこうして参加させてもらいました」

 ―実際に氷上で車いすを押したり、経験もされましたか。

 「しましたね。難しかったんですけど、でも押すことで楽しんでくれてて『もう一回、もう一回』とか言ってくれると自分もうれしいですし、手伝って良かったなと思います」

 ―イベントを拝見していたら、すごく笑顔で笑ってるお子さんが多かったです。ご家族の方も『こういう経験は初めてじゃないかな』と喜んでいました。風を切って氷の上を滑る感覚は特別なようですね。

 「大阪で1回目に参加した時は勝手も分からず、自分のプログラムをやる、という感じだけだったんですけど、そこでちょっと学んで、神戸と今回はフェンス側にお客さんがいらっしゃるので、できるだけフェンスの近くを滑って楽しんでもらえるように、プログラム構成を変えたりしました。自分なりに楽しんでもらえる工夫はしてきたので、それを考えるのも結構楽しかったので、いい思い出やなと思っています」

 ―トップ選手として活躍されてきた須本さんは、障がい者や車いすなどのパラスケートの可能性をどう感じていますか。

 「現役時代には想像もできないし、考えたこともなかったんですけど、早川君から連絡をもらって関わっているうちに、愛着って言ったらあれですけど(参加者が)しんどいのに楽しんで滑ってる姿を見ると、自分は個人的にすごく楽しいです。何て言ったらいいかな…」

 ―新しい世界が広がった、みたいな。

 「そうですね。これから早川君やサチさん(共同代表理事の小池幸子さん)が、いろんなところでイベントをどんどん広げていくと思うので、関西でやる時だったりとかは、参加させてもらえればなと思います」

パラスケートフェスタ 須本 光希

会社勤めで学んだこと

 ―トークショーの方でも最後にPRされていましたが、既にコーチ業は本格的に始めていらっしゃいますか。

 「8月から難波(浪速アイススケート場)の方で貸し切りにも入れてもらえることになり、7月にはインストラクター(日本フィギュアスケーティングインストラクター協会)の総会もありました」

 ―新横浜で開催された総会に出席されていたのですね。

 「実は、陰の方で(笑)」

 ―新会員として承認された20数人の中に須本さんも入っていたのですね。

浪速フィギュアスケートフェスティバルのスケート教室でサポートする須本光希さん=2026年8月、大阪市
井上 将志

この記事を書いた人

井上 将志 (いのうえ・まさし)

2003年共同通信入社。名古屋でプロ野球中日、フィギュアスケート、本社運動部でフィギュア、体操、東京五輪組織委員会を中心に担当。五輪は10年バンクーバーから夏冬計7大会を取材した。ジュネーブ支局時代は欧州を中心に世界各地をカバー。東京都出身。

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