フィギュアスケート女子で2006年トリノ冬季オリンピック金メダルの荒川静香さん(44)が共同通信のインタビューに応じ、20周年を迎える自身プロデュースのアイスショー「フレンズオンアイス」(28~30日・コーセー新横浜スケートセンター)に向けて胸中を語った。誕生の秘話、これまでの歩み、今回の見どころ、共演してきたフレンズ(友人)の存在…。荒川さんの思いを、3回連載でお届けする。(聞き手:井上将志 撮影:橋爪優典 デザイン:山田紗英子)
「フレンズオンアイス」 に込めた願い
―フレンズオンアイスが20周年を迎えます。20年という数字を聞いて、今どういったお気持ちでいらっしゃいますか。
「20年間となると、私が競技をやってきた年月よりも長い時間がプロとなってから流れたんだな、と。自分では、そんなに時間を重ねてきた感覚ではなかったぐらい、あっという間ではないですけれども、20年もアイスショーを続けてこられると思っていなかったので、想像していなかったんですが、こうやってたってみると驚きます。年月の大きさに」
「その中で、フレンズアイスでは『キッズ』と『ゲット・ザ・チャンス』という一般応募でショーに参加していただく企画に取り組んできたんですが、参加してきてくれた子たちが今プロとなって、一緒にアイスショーの舞台に立っているという子が結構いまして、すごいその度に感慨深いですね」
「日本ではアイスショーを見る機会がこの20年間で増えたと思うんですけれども、実績を残して選ばれてアイスショーに参加するということはあっても、やってみたいと思った人が参加できる、体験できるという機会がなかったので、是非、競技をやって頑張っている先に、このアイスショーの魅力を感じて、目指してくれる子がいたらいいな、という思いから始まった企画でもあります。なので、ずっと一般公募を貫いてきて、こちらから選ぶというよりは、やってみたいという気持ちを形にしたい、という思いで、続けてきた企画から、他のショーで活躍しているスケーターがいたり、フレンズアイスの第1回の『キッズ』が本郷理華ちゃんなんですけど、一緒にリンクを立てるということがすごく感慨深いです」
「今回『キッズ』から『ゲット・ザ・チャンス』の年齢に入って、また新たに応募してくれたスケーターも参加するということで、このショーが『キッズ』『ゲット』、またその先を目指せるようなモチベーションになってくれたらいいな、という思いもあったりします。そういうことを積み重ねて、ようやく、いろいろな場所で形としてスケーターたちの成長を感じられる機会が増えて、本当にうれしいことだなと。そこには変わらずにずっとこのショーを支えてくれているスケーターたちが20年間いて、大ちゃん(高橋大輔さん)であったり、本田武史君であったり、支えてくれるメンバーがいて、宮本賢二さんが振り付けを担当してくれて、ずっと一緒に、それぞれの活動がありながら携わってくれていることが幸せなことだと思います」
「やっぱり20年前に(第1回公演を)見てくださった方も、全部を見ているっていう方もいらっしゃって、一緒に20個年を取って、それも感慨深いなと。日常の活力にこのアイスショーがなっていくことが願いなので『またアイスショーに行くために日々頑張りたい』と思ってくださる方がいると、本当にそれが私たちに逆に勇気を与えてくださって続いてきた部分もある。ファン同志も、元々は知り合いではなくて、たまたま隣に座った方、たまたま出会った方との縁を広げ続けて、縁をここで作って、スケートを一緒に楽しむという仲間になったりですとか、何かこの場所でつながりを持って、その先の未来につながっていくことも願いの一つとして『フレンズオンアイス』というネーミングの中にも含まれているので、ここで出会った人たちが友情を育む、ということが起こることもアイスショーの願いの一つではあります」
気持ちの変化
―最初に『フレンズオンアイス』という名前を命名されたのは、自分一人じゃなく、みんなで、いろんな人と一緒に作るという思いが込められていたのでしょうか。
「その通りですね。個人競技で、そもそも個々でみんな戦ってきた仲間、戦友ですよね。同じ時代を一緒に戦ってきた人たちが一つのものを作り上げることを目指して集まることで、スケートには競い合う側面だけではなく、作り上げるという魅力があるというのもアイスショーで感じられる。ご縁が重なって一緒にこの場で共演する、ということを願って付けた名前。それがスケーターのみならず、スタッフであったり、お客さんだったり、さまざまな部分で起きたらいいなという願い。それは変わらず20年間続けてきた願いでもあるので、たまたま付けた名前ですけど、何となく今、しっくりきている状態、状況ではあります」
「元々は、自分がスケートを通じて、一緒に遠征に行って、友達になって、連絡先を交換して、直接連絡して出演交渉をしてきたという成り立ちもあったので、本当に『フレンズオンアイス』というネーミングは最初の1回目はピッタリ。自分で全部連絡をして、どんなショーをやるか考えて、交渉して、集まってくれた仲間から始まったので。何かのショーで縁があったら、例えばアメリカにツアーに行ってシェイリン(・ボーンさん)に会ったら『日本のショーに来てくれないか?』とか、行った先々で交渉してつないできた縁というのも最初の、このショーの成り立ちの基礎になってきているので。すごく何かピッタリな名前を付けたな、と自分でも思います」
「そもそも私自身が一人っ子で、人と何かをするということに魅力を感じていて、やっぱり個人競技という1人で戦ってきた世界から、スケートを通じて人と作り上げる世界がこんなに魅力的なんだと感じてアイスショーを志したので、人と人とが共鳴し合う場所としてアイスショーがあると思います」
―アイスショーを始めるに当たって、オリンピックで金メダルを取ったらOK、というような条件はあったのでしょうか。
「いや、そんなことはなくて、そもそも思いつきです。アイスショーの世界で生きていきたいっていう志が20歳過ぎたあたりからあって、アイスショーはオファーを受けて出られる場所だと思っていたんですけれども、プロになることを考え始めてから、じゃあプロとしての1日目というか、1歩目はアイスショーの舞台から踏み出したいという気持ちが芽生えて、そこから『じゃあアイスショーを作っちゃえ』という話になりました」
「だから当初企画した時は1回しかやる計画はなくて、毎年続けていくような、レギュラー化することは全く想像しないで始まったショーだったんですね。最初は、私自身が『プロになります』と宣言をした翌日に立ち上げたショーなので、こういう道で私はプロとして生きていきたいです、ということをスケートファンにも一同に直接お伝えする(場として)姿を見ていただける機会になるので。これまでスケート界に育てていただいたご恩を返し、何か貢献を私自身でできることがあればしたい、という思いもあったので、後進のためになるような活動としてアイスショーを企画しました」
「オファーをしていただいて出演するという以外に発想がなかったので、こうやって自分で企画して、スケーターが集まってくれて、ショーという道もあるんだよというのを知ってもらうために『キッズ』の参加もしてもらいました。それをまた『次もやってみないか?』と言っていただいて…。そうやって1年1年『また今年もできるんだ』の連続で6回目まで行き、10回目ぐらいから『あれ?レギュラー化するショーになったのかな?』となり。であれば、選手たちが目指す場所の一つとしてのアイスショーの一つになれたらいいなという思いが芽生え、これは大切にしていかなきゃなと思って10回を超えたあたりから、責任としてスケート界に道を残したいという思い、つなぎたいという思いが出てきました」
「それまでは毎回毎年『今年もやった』『今年もできた』という奇跡の連続だったので、来年もやるという意志を持ってやっていなかったので。10回目ぐらいから変わりましたね。遅過ぎますよね、気付くのが(苦笑)」
未来を見るようになったキッカケ
―続けることは難しいのでは。
「そうですね、続けようと思って続けることって本当に大変なことだと思います。また、自分自身の競技も続けようと思ってずっと続いたわけではなくて、もう1年、もうちょっと先が見たい、の連続で続いてきたので。本当にその延長線上に、このアイスショーもあったのかなと。だから来年のことを聞かれても分からない。来年やるかどうかは分からないというショーであることには変わらないんですけれども、でも本当に今、一番輝いている選手たちの、輝いているところを楽しんでいただきたい、今のベストを注ぎ込む思いでやっているので、もうこれ以上ベストはないかなって思いながら、毎年作っています」
―先を見たい、と思うモチベーションは自分自身から湧いてくるものなのでしょうか。それともアイスショーで共演者と作り出した作品や世界を通じて、もう少し先があるんじゃないかと希望を感じたのでしょうか。
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