フィギュアスケートの芸術性について研究するスポーツ科学研究者で、国学院大学准教授の町田樹さんが3月、金沢21世紀美術館(金沢市)で行われたトークセッションに登場した。
トークのテーマは、フィギュアスケートを「芸術作品」として捉え、どのように残し、未来に伝えていけるのか―。この日は、作品を保存、活用していくためのアーカイブについて、町田さんが考えたワークショップも実施。その後、美術館のアシスタント・コンサヴァター(保存担当学芸員)の梅谷彩香さんとトークを展開した。トークの後半では、フィギュアスケート界でこれまであまり考えてこなかったという著作権をテーマに、著作権の制度を導入するからこそ守れること、一方で著作権が阻むものについて、町田さん自身の経験を交えながら話した。
後半では、著作権法を研究する町田さんが、作品を保護するための著作権の制度や種類、またフィギュアスケートのプログラムをアーカイブ(保存・利活用)する上で必要な権利処理について解説した。
町田さんによれば、著作権は誰もが情報の受信者、発信者にもなり得るSNS時代においては万人に関係のある権利だと指摘。例えば、絵画作品を接写して、SNSでそれを発信する場合にも、著作権違反(=公衆送信権の侵害)にあたるという。
フィギュアスケートに関連する著作権
トークの中で町田さんが行った解説では、フィギュアスケートを作って演じて、それを録画して、アーカイブするまでには、この第1段階(選手ら)、第2段階(競技会などの主催者)、第3段階(発信者)という3つの段階があるという。
ます1つは振り付けの段階。音楽を選曲して振り付ける時、音楽の権利処理が必要になる。でも音楽の権利処理といっても、音楽の著作権にまつわる権利だけで、複数あり、それらをクリアランスしなければ使えない。
次に2段階目、それを実際に競技会やアイスショーの場で披露するときにもまた、主催者は権利をクリアランスしなければならない。さらにそのイベントがテレビ中継される時にクリアランスしなければいけない権利がいくつもある。また町田さんの作品をテレビ局が撮影した場合、作品の作り手である町田さんに映像の著作権が帰属するのではなく、撮影したテレビ局に権利が帰属。アーカイブ映像に町田さんの作品が映っていても、その映像を町田さんが自由に使おうと思えば、テレビ局の権利を処理する必要があるという。
町田さんは、自身の作品を映像化しようとした時のエピソードを開かした。
自分のプロ時代のフィギュアスケート作品を以前、6、7個集めたブルーレイボックスを作ったんですね。その時、この作品をブルーレイに収めて一般公開したいと、映像を持つテレビ局にその権利処理をできますかと聞いたら、『難しいですができます。ただお金がかかります』って言われました。金額を恐る恐る聞いたら、1分間になんとサラリーマンの平均月収がかかりますと。(会場どよめき)
僕はプロ時代、アイスショースケーターとしては、作品が長いことで有名だったんですよ(会場笑い)。作品の長さは通常だいたい4分ですが、私は8分、長くて10分。となると、本当にそういう作品をアーカイブして、それを一般公開するってなると、日本車1台を買えるっていうくらいの金額がかかってしまう。実質、無理ということですよね。それだけテレビ局の権利というのは、クリアランスするのが難しい。イコール、フィギュアスケートの映像というのは、なかなか保存することは各自できても、それをアーカイブとして一般公開して展示するというところまではできないというのが現状です。
あるんだけど使えないっていうもどかしい状況に置かれているということですよね。
そういうことです
人の作品を滑ってはいけないという固定観念
このように聞くと面倒とも言える著作権の処理があるわけですが、でもそれがあるからこそ、作者だったり、あるいは映像を作った方の権利を守ることができるところもあるということですよね
そうですね。フィギュアスケートの領域、今私が当たり前のように、作品としてのフィギュアスケート、フィギュアスケートと著作権のことを語っているんですが、従来のフィギュアスケートの業界では、プログラムをあまり著作物として取り扱ったことがないんですね。つまり、著作権について考えられたことがないんですよ。そうなるとどういう現象が起こるかというと、各自作品としてのフィギュアスケートを作って競技会やアイスショーに臨むわけですが、その作品は滑ったスケーターの所有物という考え方になります。
でも、例えば舞踊の世界では、200年前に作られたクラシックバレエの『白鳥の湖』という、マリウス・プティパという振付師が作った作品が今もいろんなバレエ団で上演されていますよね。踊り継がれているんです。元の作り手と交渉して、『いいよ、踊って』と、その連続。けれども、フィギュアスケートは著作権という考え方がないので、その作品はそのスケーターのもの、だから、人の作品を滑ってはいけないという固定観念になるんです
荒川静香さんの2006年のトリノオリンピックで優勝した時の『トゥーランドット』は傑作の一つだと思うんですが、あれは荒川静香さんのものだから、誰も滑ってはいけないという考え方なんです。であるがゆえに、荒川さんは今はスケーターとして第一線で活躍されておられますけれども、将来、スケート界から引退して、パフォーマンスしませんとなった場合に、その作品が日の目を見ることはないんです。
でも、これが著作権というシステム、考え方を導入することで、他人の良い作品も著作権をクリアランスしたら踊れる、滑れるというマインドにシフトしていく。これによって作品の再生産が可能になる。
著作権管理の難しさ
つまり、ある時どれだけ素晴らしい傑作が生まれても、それはもうその人限りで消えてしまうっていうところが、作品じゃないとそうなってしまうというところですよね
はい。だけど、それを著作権によって管理するっていう仕組みを導入すると、勝手にやってはダメだけど、クリアランスさえすればやっていいんだっていう。 そういうことによって作品がどんどんどんどん利活用されていくわけです。著作権は面倒くさいんだけれども、こういう制度があることによって、いろんな作品が再生産されて利活用されていく。
著作権が面倒だから「じゃあそれ使わない」とかっていう方向になるのかと思いきや、やっぱり著作権があるからこそ、それがしっかりと権利をクリアランスすることによって、ずっと文化の中に生き続けることができる。著作権をどう捉えるかというところですけど、そういうふうに著作権を理解すればいいということなんですね。
そうですね。ただ、著作権は厳しく管理しすぎると、誰にも使ってもらえない状況になるんです。これもまた作品を殺してしまうので、どのレベルで著作権を管理するかっていうのは、アーティストごとに方針が違うわけです。本当に限られた人間にしか許諾を与えないアーティストもいれば、作品をやりたいと思っている人全員に許諾するというアーティストもいて、これは千差万別なんです。だけど、著作権の管理は、厳しくしすぎるとあまり利活用されない。作品がその人の元からなかなか離れない。だけど、その厳しさを緩和させていくと、より広くなる。でも、広く流通すればいいかといったら、パロディーになっていたりして、馬鹿にしたような作品になっていたり、作者が傷ついてしまうようなケースも出てくる。だから、一概に著作権を簡単にして、簡単に許諾を与えて、誰もができるようにすればそれでいいというわけでもなくて、どのレベルでコントロールするかっていうのが極めて大事だし、難しいところです。
ミラノオリンピックで問題が明るみに
フィギュアスケートを巡る著作権の一つは音楽だと思います。誰かが作った音楽を必ず使う、その上で成り立つ競技であるっていうところがあると思いますが、実際に今、試合などをやる上で、著作権の問題が起きているのでしょうか
まさに今回のミラノ・コルティナオリンピックでも音楽の著作権違反を指摘されて、大会直前で、せっかく選手はその音楽でプログラムを準備して披露しようと思っていたのに音楽が使えなくて、違うプログラムに変えざるを得なくなったというケースが起きました。舞踊やフィギュアスケートを含めたダンス系の芸術に言えることですが、音楽があってこそ成立する芸術なんです。他のジャンルの芸術作品、著作物を使わないと、存立できないという難しさを抱えています
絵画、彫刻、音楽。全部それ一つで独立しているじゃないですか。完結している。ただ、舞踊は、体の動きだけで独立することができない。少なくとも音楽、もっと大きな舞台だと衣装も芸術、著作物ですよね。舞台美術もあります。これも著作物ですよね。なので、他のジャンルのアートの力を借りないと作品が作れないという、そういう性質の芸術でありますから、創作にも著作権の処理が必要なんですね。これはもう他の芸術ジャンルの方が苦労しないところを私たちは苦労していて。なのでフィギュアスケートやダンスは、作る時点で音楽家の許諾を得なければいけないですし、音楽家の許諾を得るのも大変なんですね。
例えば、日本ではJASRACのように、音楽の著作権を一括で集中管理している団体があります。そこに申請をすれば比較的簡単に著作権をクリアランスすることができますが、全てのアーティストがJASRACに著作権を預けているわけではないので、なかなか難しいです。著作権の処理をしないまま、音楽を選曲し、(プログラムを)作って披露しようとしたスケーターが音楽家から著作権侵害で訴えられてしまうというケースが多発しています。ただ、選手が個人で著作権をクリアランスすることって不可能なんですね。なので、フィギュアスケート業界全体で、どういう風に音楽家の著作権処理をより簡単にすることができるのかという、制度的な仕組みというのを早急に作らなければいけない状況に迫られています。
ボーカル曲の解禁がもたらしたもの
まさに今、制度構築をしていかなければという段階にあるんですね
そうですね。実は2014年にフィギュアスケートというのは、ボーカル曲が解禁されました。それまで使って良い音楽のは、言葉が入ってはいけない音楽だったので、クラシック音楽や、ミュージカルのインストゥルメンタルみたいなものが一般的でした。著作権というのは、国によって微妙に違いますが、おおむねどの国も著作者の死後70年間存続する権利というふうになっています。なので私が生み出した作品は、私が死んでから70年間も著作権が守られる。ですから今私は36歳ですから、男性の平均寿命が80歳だとしたら、あと45年間生きるわけです。そこで私が死んで、さらに70年、およそ100年間、著作権が存続しているということになっています。音楽もそうなんですね。なので、亡くなって70年たったアーティストのの作品はパブリックドメインと言って、著作権が関係なく、誰もが自由に使える作品になるわけです。
ボーカル曲が解禁されて12年くらいたちます。最初の頃はあまり問題にならなかったんですが、『なんでフィギュアスケーターは私たちの音楽作品を勝手に使っているんだろう?』と音楽家も気づいたんです。フィギュアスケートは、かつてはお金にならないスポーツでしたが、今はテレビでも放送され、競技会では(チケット代が)1万円、2万円します。ミラノ・コルティナオリンピックのチケット代がいくらだったか分かりますか? 最大1200ユーロですよ。それくらい市場規模が大きくなっているわけですね。そうすると、音楽家は『なんで私たちの血と涙の結晶の作品を勝手に使って、10万円を稼いでいるんだろう』ってなるじゃないですか。音楽家もよりセンシティブにフィギュアスケートの著作権違反を指摘するという状況に今なっている。これをどうすべきかということが喫緊の課題ではありますが、抜本的な解決策がまだ見つかっていない状態です。
「フィギュアスケートを未来に残すために④」に続く...トークイベント後のインタビューです。前回はこちら
フィギュアスケートを映像以外で記録する テレビ局が持つ著作権が阻む映像へのアクセス 【金沢21世紀美術館トーク②】












