前半の問いだしでは12の問いが出されました。
・意識ってなんだろう?
・大切にするってどういうこと?
・水みたいな清廉潔白ものをなぜアスリート、哲学者、表現者に求めてしまうのか?
・空気を読まなきゃいけないってなんだろう?
・しあわせってなんだろう?
・「ねたみ」ってなに?
・「当事者」ってだれのこと?
・「心をよりそわすって何?」
・「当事者」と向き合う時に自分の立ち位置を探してしまうのはなぜ?
・「弱者」ってだれが決めたの?
・「希望」ってなんだろう?
・世の中には絶望の方が多いのかな?
この中に羽生結弦さんこと、まえがみさんが「境界線をなぜ引いてしまうのか?」という共通点を見いだし、後半では「境界線」をテーマに語り合うことになりました。問いを出すための対話には3人の記者が参加しましたが、ここからはまえがみさんと、永井玲衣さんこと、ねぐせさんの2人で語ります。
まえがみさんとねぐせさんは互いの言葉に耳を傾けながら、考えを深め、さらに自分の言葉にしていきます。問いが問いを呼び、そこには少し緊張感のある空気も生まれ、水の中を泳いでいるような時間となりました。

引き続き、のびのびと対話していきたいと思います。
対話では三つのお約束をお願いしています。
一つ目が「よく聞くこと」、二つ目が「自分の言葉で話すこと」。
これは偉い人の言葉をもとに話すのではなく、自分はこう思う、ということについてお話してほしいということです。わたしもそうなんですけど、自分の言葉で話そうとすると、たどたどしくなったり、うまくいかなくなったり、沈黙が多くなったりしますが、対話の場はそういう言葉が出てくることを喜ぶ場なので、ぜひ、へたくそにいっしょにしゃべりたいです。
はい。
それから、三つ目が「『人それぞれ』であきらめない」。「人それぞれ」であることを否定しているのではありません。
そうではなく、例えば「境界線っていうのは、人それぞれで違いますよね」と結論づけて、あきらめないようにしようという呼びかけです。じゃあ、どうそれぞれなのかなとか、本当にそうかなと話せる場になったらうれしいです。
では、あらためてよろしくお願いします。
よろしくお願いします。

またこの鳥のぬいぐるみに助けてもらいながら話します。
先ほど、境界線というお話がありました。
なんなんですかね、この境界線て。前半の問いだしの時に話した、わたしがとても悲しいと思った、「当事者じゃないから分からない」っていうのは、一つ境界線を引く行為ですよね。
境界線を引くことは、相手を尊んでいるというあり方を表明しながら、でも同時に相手との距離をつくるような言葉のようでもある。一筋縄ではいかないな、っていうことをいま思っている最中です。とりあえず、終わりです。
でも、なんか、国の統治にしても、まあ県だったり、都だったり、境は存在していて。国もそうだし、その根源をずっとずっとたどっていけば、宗教観的なところにもつながっていって、宗教で分かれているから、それが国になっていったりもするんだなって思ったり。

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