インタビュー

2026.06.10

羽生結弦さんが語った東日本大震災15年、そして未来 震災伝承ソング「幾重」コラボ企画インタビュー全文(1)

羽生結弦さん(撮影:染谷宗秀)

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 フィギュアスケート男子で冬季オリンピック2連覇を果たした仙台市出身の羽生結弦さん(31)が、人気デュオ「ゆず」制作のNHK東日本大震災伝承ソング「幾重」に合わせた自作の演目を披露した。震災から15年。演技の収録を終えた羽生さんが振り付けに込めた思い、心境の変化など胸の内をインタビューで語った。

「押し付けたくはない、でも届ける義務、使命感はある」

 ―被災者でもある羽生さんが(震災から)15年ということで、その震災を伝える意義を改めてお話しいただければと思います。

 「15年という月日がたったとしても、一生忘れることはないと思います。いろんな方々がいろんな経験の仕方で震災を経験して。もちろん東北だけじゃなくて、関東の方も強い地震、強い揺れを感じた方々もいらっしゃったと思いますし、実際に近畿の方々であったり九州の方々であったりしても、その揺れを感じなかったとしても、すごくショッキングな映像があったりとかして、さまざまな、いろんな形での傷がきっと残っているんだろうなとは思います」

 「ただ、その15年間をずっと、15年前を大人として、また、その記憶のある子供として経験した人間としては、一生残るかもしれないんですけど、この15年間の間に生まれてきた、育ってきた命もたくさんあって。そういった方々に、つらい記憶とかは絶対押し付けたくはないんですけど『こんなことがあったんだよ』っていうことは届けていきたいなというか。届けなきゃいけない義務があるんだなっていうことは、何となく自分の使命感として持っていて…」

 「うん。もちろん、その震災の記憶が無い世代たちにも、やはり、ゆずさんのこういう曲だからこそ届く思いだとか、そういったものもあると思いますし。また、実際に震災を経験して傷を抱えている方々、実際にまだまだ苦しいよという方々もいらっしゃると思うので、そういった方々の傷に寄り添いながらも、少しでも未来が明るくなるようにという祈りを込めて滑らせていただきました」

「摩利彦さんが、ゆずさんと一緒に込めたかった気持ちが分かる気がした」

 ―今日、収録のところから入って、1度目と2度目で少し振りが違うところもあったかなと思うんですけれども、ご自身の表現の中で変化していった部分っていうのが反映されていた結果だったのか、どういうところで変えていったのかっていうのを教えてください。

 「そうですね…。自分で今回振り付けをさせていただいているので、正直、楽曲を聞いて、体が動くままに、みたいなことは正直ありました。あとはやっぱり、フィギュアスケートの演技ってすごく一期一会なところがあって、その時々で乗せられる感情だとか、呼吸だとか、スピード感であったりとか、回転の速さであったりとか、そういったことも本当に一度として同じ物がないので、そういった意味で変わってしまったのかなっていうのはあります。ただ、すごく音と歌詞と思いを大事にして表現させていただきました」


 ―今回、原摩利彦さんの編曲で振り付けをされました。ご自身のアイスショーの中でもコラボしたことがありますが、改めて一度一緒にやったことがあるから曲の理解が深まっているとか、反映された部分とかありますか。

 「かなりありますね。曲づくりというか、曲が持つ雰囲気だとか、ストリングスの重ね方とか、ピアノの入れ方とかが、本当に摩利彦さん独特のリズム感というか、そういったものを感じていて。やはり僕自身が単独のアイスショーをさせていただいた時に摩利彦さんと一緒に曲をつくっていただいて、摩利彦さんと一緒にコラボレーションさせていただいたという経験から『こういうふうに音を取っていきたいんだよね』とか、こういうふうな楽曲を通じて会話をしてきたなっていう経験があったので、より今回、この楽曲を滑らせていただくにあたって、距離感が近くなっていたというか。摩利彦さんが、ゆずさんと一緒に込めたかった気持ちが分かるような気がしたとは思っています、はい」

NHK東日本大震災15年 震災伝承ソング「幾重」 コラボ企画で自作の演目を披露した羽生結弦さんⓒNHK

振り付けに込めた意味、思い

 ―羽生さん、普段試合の時ですとか、すごくスピード感があって疾走感ある滑りが特長で魅力かなと思っているのですが、今日拝見していると、すごく音に合わせてゆっくりと、バックスケートの部分もそうですし、スパイラルもそうですし、ゆったり滑られているのがすごく印象的でした。あの辺りはどういった思いを乗せて、表現したくてそういった滑り、振り付けになったのかを教えてください。

 「すごく丁寧に氷を感じる、っていうことをしていました。僕自身震災を氷の上で経験して(幾重の)最初の歌詞の方に波であったりとか、静かな海みたいな単語が出てくるパートがあるんですけど、そこでハイドロブレーディングをするんですけど、そのときに自分が実際に振り付けをしたリンクが、僕自身が被災したリンクで。その時にこのリンクすごく波打っていたなとか、こんなに静かな氷だけど、あの時はすごく波を打っていて、本当に異常だったなみたいなことをすごく思い出していて。そういったことも含めて、丁寧に丁寧に氷を感じながら滑っていきたいなという気持ちはありました」

 「また『会いたい』っていうパートとか『会えない』っていうパートとか、実際に言葉にしたいんだけど言葉にしたらこぼれちゃいそうな、実際に会えないことを、会えないってなっている時に後ろに下げられてしまうというか、世の中に引き戻されてしまう、現実に引き戻されてしまう、みたいなことはすごく考えながら滑っていたので、そこにすごいダッシュみたいな感じではなくて。走り出すわけではなくて、一歩ずつ歩んでいくように歩き出していく、未来に向かって丁寧に進んでいくんだ、っていうことはすごく振り付けの中とスケートで表現しようと思っているところです」


 ―中盤くらいですかね、宙返りというか、でんぐり返しして膝を抱えるような振り付けがあったと思う。あまりこれまでのショーだったり、競技ではない動きだったと思うんですけど、あの辺りっていうのはどういった表現を考えられたんでしょうか。

 「曲が展開としてふと変わるところでもあって。自分にとっては、そこが過去のパートから現在のパートに変わるところだと僕は思っていて。そういった意味で、実際に過去をずっと振り返っているところから、膝を抱えながら月日がその間たっているというか、曲の展開が変わっていく時に、時間が過ぎ去っていって、ふと目を覚ましたら現在、状況が自分の前にある。失われたものと、進んでいるものが実際目の前にある、っていうような感情であの振り付けを考えました」

「失われてしまったものを想像しながら滑った」

 ―楽曲を500回聞き込んだというのは羽生さんにとって通常でしょうか。
 「通常です(笑)」

 ―これまでも、だいたい500回。
 「そうですね」

 ―振り付けなどを始めたというか、着手し出したのは、いつ頃からと考えたらよろしいですか。
 「一応『REALIVE』(4月11、12日)が終わった後に始めました」

 ―今まで話を聞いていると、どの歌詞もメロディーも大事にされているのがすごく伝わってくるんですけれども、特に何か心に刺さった言葉だとかってありますか。

 「言葉としては、実際にゆずさんが被災された方々のところにお伺いしていて(被災地を)訪ねられている時に聞いたお話とかが実際にこの歌詞になっているんですよね。その情景として、いろんな歌詞を聞いているシーンの中で、会えなくなってしまった方がいらっしゃって。そういった『会えないことに慣れない』っていうパートがあるんですけど、正直あんまりこれまでストレートにこういうことをいう歌詞ってなかったなって思っていて。実際に伝承ソングとして作るということになったときに、ここまでストレートに表現することってなかったなと思ったので、ある意味自分もすごく素直に本当に会えないというか、本当に失われてしまったものをすごく想像しながら滑っていました」

NHK東日本大震災15年 震災伝承ソング「幾重」 コラボ企画で自作の演目を披露した羽生結弦さんⓒNHK

『幾重』の解釈

 ―『幾重』というタイトルについて、単語そのものとしてどんなイメージが羽生さんの中にある言葉ですか。

 「タイトルからというか、僕は北川さんと摩利彦さんが作曲をした結果として、本当に何層にも重ねられた楽器たちと声とが伝わっているところが、いろんな方々の人生を重ねているのと、いろんな方々の人生を表現しているんだなっていうのをすごく感じていて。僕の中での『幾重』の解釈なんですけど、15年という月日が幾重にも重なっている、1人の人生の中で15年という月日が幾重にも重なって地層になったっていうのと、15年たっていろんな方々の15年が地層として重なっているっていうような、二つの意味が自分の中ではあるなと思いながら解釈をしていて。僕は両方を表現できる人間だなと思って」

 「というのも、自分自身が仙台という地で被災をして、いろんな傷を抱えて生きてきたからこそ、重ねてきた15年間を表現できると思ったし。でも、実際にこうやってオリンピックを2連覇して、いろんな方々にお話を聞かせていただく機会とか、実際にお会いする機会をいただけたからこそできる、いろんな方々の15年の幾重というものも知っているので、どっちもすごく大切にしながら表現したいなっていうのは振り付けしている時も、今日実際に滑っていても思いました」


 ―羽生さん自身が16歳の時ら今に至るまで、特にこの間の『notte』でもそうでしたけども、傷がある、つらかったことがあるっていうことも含めての自分の人生だ、それを抱きしめて生きていくんだっていうことはずっと考えておっしゃっていたことだと思う。この楽曲にも伝承という意味もあって、すごくそういう要素が反映されていて、アーティスト同士が同じ地点に来る、全然違う軌道をたどってきているし、ゆずさんは被災地にいた方ではないという中で、なぜか重なったみたいな瞬間なのかなというふうに思う。そういうアーティスト同士の響き合いみたいなことを不思議だなと思うような感じは。

 「例えばの話なんですけど、哲学者と数学をやっている人間が、割と同じ人間だったりするように、いろんなことを考えていくと、実は同じ結果にみんなたどり着くよっていうことが、この世の中にはいっぱいあるいんだなって最近思っていて。すごく文学的なことを考えていっても、最終的には数学の答えのようなところにたどり着いたりとか、宇宙の真理みたいなことを言ってしまったりとかもするし。それと同じで、震災のことに向き合う、寄り添うということを考えた時には、やはり同じところに流れ着くんじゃないかなと思っています」

 「もちろん、表現の仕方とか、僕にとってはフィギュアスケートというのが第一言語だと僕は思っているので、フィギュアスケートで表現する表現の仕方、という基本があるんですけど、ゆずさんや摩利彦さんは作詞であったりとか作曲であったりとか、実際の楽曲を演奏するとか、弾き語りで届けるとか、そういった表現技法で寄り添う、表現してくださっていると思っていて。結局のところ、違う形にはなっても、心の奥底で思っていることが一緒だったんだ、心の奥底で同じことを思っていて、同じように大切に思っているのであれば、響き合うのは当然なんだなっていう感じはしています。すごい回りくどい説明になっちゃったんですけど」

震災から15年、心境に変化は

 ―NHKとのインタビューで「あれ(震災)がなかったらよかった」という話もありました。15年たって新しく震災のことを思うことだったりとか、また少し気持ちが変わったりとかっていうことは何かありますか。

 「付き合い方はうまくなったなとは思います。もちろん15年というのは節目に感じやすい5の倍数。でも、ころっと変わるかと言われたらそんなことはなくて、毎日の積み重ねの中で、ちょっとずつ変化していくことだと思いますし、それは本当に行ったり来たりする部分もあると思うんですけど、でも、自分の傷の向き合い方として、被災された方々のつらい記憶であったりとか、つらい痛みであったりとか、そう寄り添うっていうことの距離感とか、見つめ合い方みたいなものが少しずつ上手になってきたなと思いますね」

 「ただただ、えぐるだけじゃなくて、ただただ楽しむだけじゃなくて、ただ寄り添おうって頑張るだけじゃなくて。何だろう。そこに対してちゃんと手を差し伸べられるように、ちょっとずつなってきたなと思いますし。それが傷ついた方々に対して手を差し伸べたいというか、祈りたいっていうこともあるんですけど。自分自身がすごく取り残していた過去の自分、すごくフタをしていた自分みたいなものもあるので、そういったことに対しても『大丈夫だよ』って言ってあげられるように、変化してきたかなとは思っています」

 「それは本当にこの『幾重』という楽曲にそういうふうにしていただけたっていうのもあるし、実際にこうやって自分自身が、この楽曲と演技を見た時に、ちょっとでも前を向こう、その傷を抱きしめながら未来に向かっていこう、っていうことを思っていただけるためには、説得力を持って伝えるためには、自分自身がそうならないといけないなって思っていたっていうこともあって、すごくいい企画をいただいたなと思っています」

NHK東日本大震災15年 震災伝承ソング「幾重」 コラボ企画で自作の演目を披露した羽生結弦さんⓒNHK

「過去を消さない。それも含めての人生」

 ―震災がなかったら、というふうに想像したことはあるのでしょうか。

 「うーん、ないですかね。もう起きてしまったことなので、正直、当時のことを思い返すと、起きた時は何か現実味がなかったんですよ。現実味が全然なかったけれども、何とかそこで生きなきゃいけなかったんですよ。だからみんな必死で、生活どうしようかとか、その場その場で、僕らは避難所にお世話になっていた側だったので、避難所にお世話になりっぱなしではあったんですけど、でも実際にこれからどういうふうに生活が戻っていくのか、家がどうなってしまうのか、これから日本がどうなっちゃうのか、すごく悩みながらも、でも現実を生きなきゃいけないっていう、その場の行き当たりばったりで生きていくことをしていたんですよね。それと同じで。あれが起きてしまって、3.11がなかったらこの世界どうなっていたかなっていうのはあんまり考えることができなくて、本当に行き当たりばったりの人生の中で、今っていうのが存在しているんだろうなとは思っています」


 ―15年がたち、未来を変えることができたのか。

 「どうですかね。変わったり変わらなかったり。正直、何かやっぱりいろんな方々の記憶とか記録とかに触れたり、いろんなニュースを見たり、実際にお会いしたりする時に、自分のことじゃないのにすごく涙が出るし、すごく胸が痛くなるんですよね。そういうことがいまだにあって。そういうことを考えると、何か向き合い方とか、あの頃と変わったとは言い切れない部分もある。ただ、間違いなく、先ほども回答であったように、距離感とか、付き合い方はうまくなってきたな、とは思いますね。何か、過去を消さない、じゃないけれど、ちゃんとそれも含めての人生だって胸を張って段々言えるようにはなってきた、ということは思っています」

羽生結弦が考える「伝承」とは

 ―昨年7月にこちらの会場(ゼビオアリーナ仙台)で滑られていて、羽生さんがここで滑るのを見るのは2回目。今日滑ってみて印象が変わった点とか何かありますか。

 「当時は明るくて。今回はすごい照明とかも暗くて、完全にアイスショーバージョンの中で滑らせていただいたので、全然雰囲気が違いました。実際に暗闇の中で、独りぼっちだなって思うようなシーンもあったり、そこから明るくなって自分自身も未来を感じながら滑るようなシーンもあったりとか、いろんなことを、あの時とは違って、いろんなシーンの展開を感じさせられたなとは思っています」


 ―来年、再来年には震災後に生まれた世代が羽生さんが被災された16歳になる。まさに震災を知らない世界線を生きている方々がこれから増えていく。伝承、というこの歌のメッセージ、非常に重要なテーマについて、改めてどのように伝えていきたいか。

 「うーん、先ほども言ったように、つらい思いをそのまま伝えたいとは思いたくない、思ってはいないんです、僕は。正直つらい記憶とかつらい思いって、僕らだけがあればいいと思っていて。それを無理やり提示することが伝承ではないと僕は思っている。だから、こんなことがあって、こんなつらい思いがあったよ、って伝えていくのがいいのかもしれないけど、それで悲しくなるようなしたくない。だけど、こうやって、こういうことがあったから命を守る行動っていうのを学んだんだよって。こういうことがあったから、こういうふうにすれば、命を守れるようになったんだよ、っていうことだけは、伝えていくべきというか。それだけでも、残っていくべきなのかなって僕は思っています」

 「もちろん、記録としていろんな災害があったことは残すべきだとは思うんですけど、本当に(震災を)知らない世代にちゃんと残ってほしいものって、僕らが学んだことだけだと思うんですよ。それさえちゃんと守っていれば、生きていけると思うので。僕が阪神淡路大震災が起きる1カ月前ぐらいに生まれているんですけど、それがきっかけで、いろんな耐震基準が変わっていって、建築の基準が変わってきたおかげで、きっと3.11の時に倒壊した建物は少なかったと思いますし、そうやって僕らも、きっと守られたと思うんですよ。でもそれを知っているからあれのおかげで守られたんだな、あれがきっかけで僕らは命を守ることができたんだなって思えていると思うんですよ」

 「だから、それと同じように、3.11があったから、こうやって逃げることができた。いろんな防波堤であったりとか、水門であったりとか、いろんなものができて。ここには住居を建てちゃいけないよっていうような境界線とかいろんなものができてしまって。言ってみたら景色は変わってしまったかもしれないけれども、その景色が変わったことによって、いろんなものが守られているんだよ、っていうことだけは、どんどん伝わっていければいいなって僕は漠然と感じています」

羽生結弦さん(撮影:染谷宗秀)

羽生結弦さん×ゆず『幾重』コラボインタビュー

羽生結弦さん

 羽生 結弦さん(はにゅう・ゆづる)宮城・東北高1年だった2011年3月に出身地・仙台市のスケートリンクで練習中に被災。自宅は全壊判定を受け、避難所生活を経験した。冬季オリンピックは初出場の2014年ソチでアジア勢初の男子制覇を果たし、2018年平昌(ピョンチャン)で66年ぶりの2連覇。2022年北京は4位。2014、2017年に世界選手権を制し、2013~2016年にグランプリ(GP)ファイナルを4連覇。全日本選手権は6度優勝した。2016年に世界初の4回転ループ成功。2022年7月にプロ転向を表明後、自ら制作総指揮して出演するアイスショーを企画しているほか、毎年3月には「羽生結弦notte stellata」に出演して鎮魂の舞を披露している。早稲田大卒。31歳。

井上 将志

この記事を書いた人

井上 将志 (いのうえ・まさし)

2003年共同通信入社。名古屋でプロ野球中日、フィギュアスケート、本社運動部でフィギュア、体操、東京五輪組織委員会を中心に担当。五輪は10年バンクーバーから夏冬計7大会を取材した。ジュネーブ支局時代は欧州を中心に世界各地をカバー。東京都出身。

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