機材転換中に羽生結弦さんと永井玲衣さんの立ち話の中で、問いだしが始まります。
羽生さんは、「哲学の中で、魂とは何か、心とは何か?の話で…割と『意識』という言葉が出てくるけれど、『意識』って何なんですかね?」と永井さんに問いかけます。
さらに「本当に難しいなって思って。生物的に考えると、思考しているのは間違いなく脳であるのだろうけれども、何かそれだけでは説明のできないものが確かにそこにあるような感じはしていて…僕ら、スポーツをやっている人間だと、よく『意識し過ぎちゃうと緊張する』とか、『意識しすぎて技がうまくいかない』っていう言葉をよく先生にも言われたりする。僕らアスリート側としては、『意識するな』とか、逆に『ここだけは意識しろ』みたいなことを、哲学とは全然関係ない言葉でよく使われてきたなっていうイメージはあるんですけど。じゃあ、『意識って何?』ていうのは小っちゃい頃から思っていましたね」と、最初の問いを投げかけました。
問いだしには参加人数が多い方が良いとのことで、記者も参加しました。永井さんがファシリテーター(進行役)となり、対話を進めていきます。

普段とは違う名前で、鳥を持っている間は「考え中」の合図
私は本(『水中の哲学者たち』)にも書いているんですが、「生きるとは何か」みたいな、いかにも「哲学」な問いも素敵なんですけど、一方で「手のひらサイズの問い」という言葉を使っています。手のひら、私はとても小さいのですが、ささやかで、でも人肌のあるような等身大の日常から見えてくる問いです。
今みたいな、身近にあった「意識するな」という言葉も、「じゃあ意識って何?」というところの問いにつながっていく。
こうした問いを、前半は、お互いに問いをききあって、ゆっくり水中に潜り、後半はその中から一つ、スタートとなる問いを選んで、対話をします。
それで、実はこの鳥、ちょっと気になっていると思うんですけど、この鳥を持っている人が話すという約束にしていて。
へぇーーー。
というのも、わたしは話しているとき「うーん」って考えこんだり、言葉を途切れさせたり、言葉を眺めてみたりしたいなと思うんですね。
飲み会だとか普段のおしゃべりだと、「沈黙がいけないことだ」みたいなところがある。誰かが話の途中なのに言葉をかぶせちゃったりもすることもあるので、「鳥を持っている間は考えているよ」ってサインということにしています。
話の終わりは、誰かが決めるのではなく話し手が決めます。話し終わったら「終わりです」と言ってください。
はい。

それと、対話では自己紹介せず、普段とは違う名前を名乗ってもらうようにしているんですね。
何がいいかな。