体操女子で2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロ両五輪に出場した寺本明日香さん(29)が21日、フィギュアスケートの愛知県選手権で実戦デビューを果たした。体操選手を引退してから3年弱。フィギュアスケートのどんな部分に魅了され、趣味や生涯スポーツとして将来性をどう感じているのか―。〝大人スケーター〟を応援する共同通信のフィギュアスケート専門メディア「Deep Edge Plus」だけに、本音や新たな挑戦の舞台裏を語ってくれた。(聞き手 井上将志)
体操よりスケート動画が伸びる「謎現象」
―フィギュア挑戦の発表にかなり反響が大きかったと思います。どう受け止めていましたか。
「そうですね。体操の現役を引退してからスケートの遊んでいる動画とか、リンクに遊びに行った動画を、ちょくちょくインスタとかX(旧ツイッター)に載せたりしていたんですけど、なぜか体操をしている動画よりも、スケートをやっている動画の方が伸びるという謎現象が毎回起きていることは分かっていまして(苦笑)。私の体操よりも、スケートの方が見たいのかな?みたいな。何となくは感じていたんですけどね…。『スケートの試合に出る』とつぶやいた時の反響もすごく大きくて、単純にビックリしてるっていうのが一番です」
「でも、皆さんが思い描くのはトップ選手のような滑りだと思うんですが、それは全然できないんですよ、初心者なので。こうやって注目をしていただけるというのは、うれしい半面、ちょっと恥ずかしいっていう気持ちがあります」
―『頑張って』だったり、かなり激励のコメントが寄せられたと思います。
「そうですね。今まではずっと、体操選手として、競技として、点数を取りにいくために毎日努力して、っていうところにいました。でも、楽しむ、趣味の延長線上でやるということに『それが本来のスポーツのあり方だよね』という声をいただいたり。今29歳で、まだ若い方だと思うので『体が動くうちにやりたいことをやってほしい』という声もありました」
「あとは『スケートっていう競技が大人になってからでも楽しめるスポーツだということを、いろんな人に知っていただけるってだけでもうれしい』というお声もいただきました。体操もスケートも、どんなあり方であっても、どんなレベルでもあってもスポーツとしてある、ということをみんなに知ってもらえたら、という思いもあります」

「大人でも気軽に参加できるレッスン、リンクに通いやすい雰囲気は、もうちょっと必要」
―体操やフィギュアスケートは競技スポーツとしてのイメージが強いと思います。一方で、シンクロナイズドスケーティングの取材をした時に、社会人スケーターの愛好家が楽しそうに滑っている姿も印象に残りました。フィギュアの生涯スポーツとしての可能性をどう感じていますか。
「競技のイメージが強いというのは、テレビで全日本選手権などを見て、体操ってこういうイメージとか、スケートってこういうイメージっていうふうに、多分イメージを持たれると思うんですね。私は体操なら前回りから始める、ということを基本的に知っていますけど、スケートって何から始めるのか知らなかったんですよね。いきなり全日本選手権のようなことをやるのかと思っていたので。知らなかった時は…」
「スケートも、まずは前に進む、足踏みするとか、そういったところから実際は始めるんですよね。体操でいうと、例えば前回りとか、側転とか、ちょっと倒立してみようか、という感じです。でも、そもそも知らない人が多いと思います。私はYouTubeでいろいろ見て、バッジテストというのがあることを知ったんですね。今、私は無級なんですけど、初級、1級、2級、3級、4級…と上がっていく中で、いろんなことができるようになる、これくらいだったら大人の方でも徐々にできるレベルなんだな、っていうのを知りました」
「まず、そういったことを知る機会が必要なのと、大人の方でも気軽に参加できるレッスン。あとは、リンクに通いやすい雰囲気だったりっていうところは、もうちょっと必要なのかなっていうふうに思いました。私はパッとリンクに行っちゃったんで、行って特に恥ずかしさもなく、ひたすら自分で滑っているみたいなことができたので。だから、リンクに一人で行くのもあまり抵抗がなかったんですけども、でもやっぱり最初は友達と一緒に行くとか、無料体験に行くとか」
「それこそ、大須のリンク(名古屋市、伊藤みどりさんや浅田真央さん、宇野昌磨さんらのかつての拠点)はすごく滑りやすいので、一般の方が滑ってらっしゃるし、大須観音に遊びに行ったついでにとか、中高生とかも結構たくさんいるので、あれが本来のスケートを始める在り方なのかな、というのは思いました」
―日本もかつて昭和時代にスケートブームがあって、リンクがごった返すようなこともありましたね。価値観が多様化した現代では、手軽さがないとハードルが高いという部分があるのでしょうか。
「そうですね。とはいえ、でもスケートの方が体操よりはやりやすいと思います。体操は大人のクラブ、レッスンがあまりなくて、どちらかというとバック転の教室とかになるんです。あまり大人で体操教室に入れる環境がないので、別にガチな体操でなくてもいいので、健康運動とか、ちょっと前回りや後ろ回りをするレッスンがあればいいなと。それはスケートをやってみて感じました」

かつて鳥取や大学で習ったスケート、再び始めるきっかけは「大庭雅ちゃん」
―スケートに興味を持ったきっかけは何で、いつごろだったのでしょうか。
「そもそも体操を始める前の年中、年長さんくらいの時、鳥取県に住んでいたんです。両親は『スケートをちょっとやらせてみてもいいんじゃないか。習い事は何かやらせたいが、スケートはどう?』みたいな感じで、鳥取でスケートと水泳を習っていました。スケートは無料体験を受けたことを覚えているんですが、子供だったのでブレード(刃)が怖くて、やめちゃったんです」
「愛知県に引っ越して『鉄棒が習いたい』と言って体操を始めたんですが、親がよくテレビでスケートを見ていたこともあり、体操と通ずる部分もあるので、気が付いた時には毎年テレビで全日本フィギュアを見ていました。それこそ(浅田)真央ちゃんが出ていた時とか〝黄金世代〟ですよね。安藤美姫さんや男子だと高橋大輔さん、小塚崇彦さん…。今ならカオちゃん(坂本花織)。黄金時代からずっと見ていました」
―スケート選手とのつながりは。
「中京大に入ってからですね。最初は大庭雅ちゃん。そのつながりで本郷理華ちゃんともお昼は一緒にお弁当を食べたりして(笑)。浅田真央ちゃんは中京大のトークショーでつながり、お互い知っている感じでした。あとは大学つながりで、少し下ですが(須崎)海羽ちゃん。そのあたりの世代のスケート部とはつながりがいっぱいあり、先輩で言うと小塚さんにはオリンピックの壮行会とかでお会いしていた感じでした」
―スケートをまたやろうと思ったきっかけは。
「引退してから大庭雅ちゃんとリンクに遊びに行ったのがきっかけですね」
―大庭さんとは仲良しですよね。
「あ、そうです、そうです(笑)リンクに遊びに行って、最初はずっと貸靴で滑っていました」
―大庭さんに誘われたのか。
「そうですし、私も行きたい、引退したら滑ってみたいっていうのはありました。授業ではやっていたので、ちょっとは滑っていました。さすが中京大なんですが、選択授業でスケートの単位があって、門奈(裕子)先生に教えてもらっていました。そこでフォアクロス(スケーティング)くらいまでは、やりましたね」
―中京大はアスリートが多いから、結構みんな滑れたのでは。
「でも、3人ぐらいですね。選抜して3人だけ次のレベルのクロスにいけました。でも、めっちゃ腰が引けるし、難しかったです」
「新しいことができるようになる達成感。その感覚が懐かしく思えた」
―長らく体操のトップ選手として活躍し、違う競技をやる機会はなかなかなかったと思います。スケートをやってみて新鮮さや、何か感じたものはありましたか。
「いろんなことができるようになる、という達成感。『あ、ちょっとずつうまくなっている』という感じ方は、最初始めたころの体操とすごく似ていました。逆上がりができるようになる、蹴上がり、車輪、車輪ツイスト、イエーガーできるようになって…。成長期盛りの、あのぐらいの楽しかったな、それが面白かったんだなっていう時期、その感覚が懐かしく感じたっていうのがあります」
「体操は正直『嫌い』『もう嫌だ、引退』で終わってしまったので、楽しかったことが全然思い出せなくて…。『体操って何が楽しかったんだっけ?』という感じで終わったんです。今(体操部女子監督を務める)至学館大の子たちを見ているから、徐々に楽しさは思い出してきたんですけど、でも、なかなか自分で心の中から思い出すというのはあまりなくて…」
「でもスケートをやって、徐々にフォアができるようになって、バックができるようになって、クロスができるようになって、スリーターンができるようになって…。そうやって徐々にできるようになってくる感覚が、体操で技を習得していた時の感覚と似ていたので、アスリート魂が、血が騒ぐのかなと思います(笑)」
―体操担当記者として寺本さんが中学生の頃から取材してきたが、体操が嫌になっていたことは知らなかった。体操の競技者としてトップでいなければいけない、といった苦しさが現役終盤はあったのでしょうか。
「そうですね。体操は最後の方は本当にプレッシャーと、自分の体が動いていないのを感じながら、ちょっと早く終わりたいと思いつつ、どうやって終わったら体操を悔いなく終われるだろう、もうやり切ったで終われるだろう、と考え(2022年の)全日本選手権を最後にすると決めて終止符を打ちました。体操が嫌いになりそうだから早く終わっておかないと、という感覚で終わっちゃった感じです。いい終わり方、全然悔いのない形ではあったのですが、あまり思い出したくないと感情も抱えながら、引退してからの2年間を過ごしてきた部分もあります」
「何でスポーツを最初にやりたいと思えたのかが、全然思い出せなくなっていました。心の底からその感覚を思い出させてくれたのが、スケートとゴルフ。徐々にできるようになってくる感覚というのが、本来のスポーツの楽しさだったんだな、私が楽しいと感じていた感情だったんだな、と思い出しました」
―楽しむ、という視点は至学館大での体操の指導にも盛り込んでいますか。
「そうですね、でも盛り込むというよりは、若干リセットという感じです。至学館大の選手はレベルがめちゃくちゃトップではないですし、一方で部活動として、私のスケートよりはちゃんとやっています。全日本選手権のレベルではなく、でも体操が好きでやっている子たちが来ているので、その子たちの目標に寄り添う指導法でやると、選手が徐々にできるようになるのが私もうれしいんですね。それが楽しいと思うようになりました」

1年前に自分のスケート靴を入手、週1回はリンクへ
―楽しむ、という観点で言うと、寺本さんの企画で今年2回目を迎える体操の「寺本明日香カップ」もそういう思いが込められているのでしょうか。
「1回目は選手コースのために作ったので普通の大会なんですけども、特に今回の第2回は、対象とするピラミッドの層を少し下げて、愛好者向け、しかも小さい、年中から小学4年の子、前回りとか後ろ回りレベルの子のための全国大会みたいな感じでつくりました」
「私の現役時代は、どの大会を欠場しようかと考えるくらい大会数が多かったので、大会ってそんなにいるものかな?と思っていたんですね。でも、やっぱりそうじゃない子たちもいて、出られる大会があるのならば出たい、発表会でもいいから、何でもいいから、そういった舞台、せっかく練習してきたものを出せる場があるのならば出たい、っていう子たちもいることに至学館大に入ってから気付きました」
「さらに、スケートを始めたことで、ここまでやるなら大会に出たいな、演技をつくりたいなと思うようになりました。演技をつくって、じゃあどこで発表するのかと探していた時に、愛知県フィギュアスケート選手権に『ブロンズの部』というのができたので、そこが検討の対象。それか軽井沢風越カップでした。レッスンとして自分のレベルで受けられそうなのが『小塚アカデミー』と、町田樹さんがやっているレッスン。レベルも分かれていて、これならいけるかなと思ったんですが、体操にはこういうものがあまりないなと。でも私がスケートで求めたということは、体操でも求めているんだろうな、と感じてつくったのが第2回の寺本明日香カップです」
―小塚さんや町田さんのアカデミーの話が出たが、スケートも少しずつ大人向けの教室、愛好者を広げようとする動きが出ているように思います。そういった受け皿をどう見ていますか。
「大人スケートの方々が、どうやってレッスンを受ければいいのか、どういったところに行けばいいのかが分からなくてたどり着いたのが、そういったアカデミーだと思います。私は愛知県、小塚さんというつながりもあったんですが、オリオンFSCという所属クラブは、大人スケートの方でも受け入れやすいようなエンジョイコースというのがあって、私もそこに入っています。そういった受け皿をつくってくれたのが、1年前に引退した竹内すい先生、すいちゃんです。インストラクターの先生としてやっていく上で、そういうコースをつくったり(小塚崇彦さんの母の)小塚幸子先生と一緒にやって勉強中だったところに、私がコースに入った、という感じです」
―エンジョイコースはどんな内容なのでしょうか。
「毎日は練習に行けないようなスケーターだったり、バッジテストに向けて練習する選手だったり。バッジテストはフォアでずっと片足で滑ってキープするとか、そういうことを教えてもらうレベルがエンジョイコースですね」
―至学館大での仕事もあって定期的に通うのは難しい中、趣味として楽しむための工夫は。
「1年前からマイシューズ(スケート靴)を手に入れて、そこからスピンとかジャンプとかやってみたいなと思うようになり、週に1回はリンクに行きたいというレベルでずっとやってきました。時間が空いていたら、とにかくリンクに行く。イメージしていても氷の上は全然違うので(上達の鍵は)とにかく氷に乗る時間なんだなっていうのは、スケーターの方も言いますし、私もずっと思っていました」
「最初は何を練習すればいいのか分からなかったんですけど、まずYouTubeで調べて、バッジテストはどういうものか、スリーターンとかロッカーを覚えて。まだ全然できないものもありますし、左右でできなければいけないので、ちょっとずつ勉強して、ちょっとずつ分からないところをレッスンしてもらう。何となく理解はできたけど、体は動いていないというものは、自分でリンクに行ってひたすら練習する。そういうことを繰り返していたら何となくできるようになってきて、去年の夏ぐらいに振り付けをしてもらい、通し込んだのはここ数カ月ですが、とにかく週1回はリンクに行けるようにしてきました」

「陸と氷は全く違う。スケーティングが命」
―体操でいう逆上がりのように、スケートでは何ができた時がうれしかったのでしょうか。
「スピンとかジャンプができた時は、逆上がりぐらいのうれしさがあるんですけど、徐々にできるようになってきているな、というのをすごい感じるんですよね。半年前、数カ月前までバックで全然滑れなかったのに、ちょっと滑れるようになってきたなと思ったり、絶対無理と思っていたもの、例えばバックで、片足で滑るといったことが気付いたらできるようになったり。そういうのが面白いですね」
―ジャンプはどんな種類を。
「とりあえずトーループです。最初はスリージャンプもできませんでした」
―体操経験者なら上達が早そうに思いますが。
「めちゃくちゃそう言われるんですけど、2回転とか余裕じゃない?と。でも、陸と氷は全然違うんです。『スケーティング命』という感じですね。エッジの乗り方がまだ分からないので、それができないと、そもそも2回転なんて跳べない。ないんで、氷の上に立つことすら不安定。陸なら立ってそのままジャンプできますが、氷の上ではそうはいかないので、陸と氷ではイメージが全く違います」
―スケーターを尊敬したのでは。
「2回転とか、自分は陸ではできるので、まだスケートをやる前は『自分でもできそうだな』と思っていたのですが、実際に氷の上でやろうとすると、跳び上がることさえできないですし、そもそも片足で滑る、バックで後ろ向きに滑ること自体が難し過ぎます。でも、それがアスリート魂に火を付けたのかもしれません」
スケートは大人からでも始められる
―スポーツ選手には燃え尽きを経験する人もいます。長くスポーツを楽しめるようになるには。
「ジュニアの頃はあんまり生涯スポーツとは思わずに上を目指していけばいいと思います。ある程度、中高生や大学生になった時に将来性は見えてくるじゃないですか。スケートの場合はコーチになったり、アイスショーだったりで、まだセカンドキャリアが充実していると思います。体操もエキシビション、ショーみたいなものにチャレンジしている人もいますが、金銭面も含めて難しいと感じています。パフォーマーという仕事だけでご飯を食べていくのは難しいですし、それだけの需要がまだない。だから体操に関わるならコーチ業になると思います」
「その分スケートはアイスショーもあるし、コーチとしてもセカンドキャリアに夢があるなと感じます。生涯スポーツとなると、大人からでもスケートを始められるというところをアピールしたら、もっと大人スケーターは広がると思いますし、私はフィギュアの大会挑戦といったニュースや、それに対する反響を通じて、大人でもスケートを楽しめるんだよ、というのが広まるお手伝いができたらいいなと思っています」
―普及に向けて提案やアイデアはありますか。
「リンクがもう少しあればいいと思いますね。でも、施設の運営が厳しいことは聞いているので…。でも名古屋なら日本ガイシアリーナは空いているので、営業していることを広めたらいいですし(市中心部の)栄で豊田合成が展開しているリンク、実際の氷ではないですが、ああいう家族で行きやすい小さなリンクがあればいいと思います。一歩を踏み出しやすいので。ピラミッドの底辺を広げるのであれば、小さなリンク、仮設リンクがあるといいなと思います。スケート界は結構取り組んでいる方だと思いますよ」
―スケートを始めようか悩んでいる人の背中を押す言葉として、寺本さんからどんなものがありますか。
「まずはリンクに足を運ぶこと。もし不安だったら友達と行くとか、ペンギンのそりやイスを使って滑ったり。ヘルメットや膝当てもありますし、リンクの安全面もかなり配慮されているので、もしちょっとでも興味があれば、とりあえず勇気を持ってリンクに行ってみるといいなと思います」

Profile
寺本明日香(てらもと・あすか)さん 体操女子で夏季五輪2大会に出場した。初代表の2012年ロンドン大会は団体総合8位。2016年リオデジャネイロ大会では主将として団体で48年ぶりの4位に貢献し、個人総合で8位入賞を果たした。2022年4月に現役を引退し、至学館大の体操部女子監督に就任。健康科学部の助教として教壇に立つ。愛知県小牧市出身。1995年11月19日生まれの29歳。
