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2026.02.15

東日本大震災15年「スケートできる幸せを実感」 佐藤駿、仙台で被災して中断

 東日本大震災で一時避難していた佐藤駿(左)と日下匡力コーチ=2011年、埼玉県内

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 【ミラノ共同】ミラノ・コルティナ冬季五輪のフィギュアスケート男子で銅メダルを獲得した仙台市出身の佐藤駿(さとう・しゅん)(22)=エームサービス・明大=は、小学1年生だった2011年に東日本大震災を経験した。自宅は半壊となり、東京都に一時避難。「あの頃があったから今がある。スケートをできる幸せを改めて実感した」と、感謝の気持ちを忘れたことはない。

 5歳で滑り始め、羽生結弦(はにゅう・ゆづる)さん(31)も練習していた仙台市泉区のリンクが拠点だった。当時指導していた浪岡秀(なみおか・すぐる)コーチ(41)が「誰よりも一番練習する。ずーっと滑っていた」と苦笑するほどのめり込んだスケートを、被災後は中断せざるを得なくなった。

 現在師事する日下匡力(くさか・ただお)(46)、浅野敬子(あさの・けいこ)(58)両コーチと出会ったのは、都内の祖母の家に身を寄せていたこの時期だ。浪岡コーチの紹介で埼玉県のリンクに通うようになると、再び滑れる喜びで急成長。何より、受け入れてくれたコーチ陣の温かさが身に染みた。半年後に故郷へ戻るが、縁は続く。18年の春、父親の転勤に伴い、埼玉県のクラブに移籍した。

 初出場の五輪で、佐藤は切れ味鋭い4回転ジャンプを武器に活躍した。「とりあえず回転だけ速くしよう」とジャンプの基礎をたたき込んでくれたのは浪岡コーチ。ジュニアからシニアに転向後、伸び悩んだ時期もあった教え子を日下コーチと浅野コーチは長い目で見守ってくれた。

 前回北京五輪の男子フリーの日は、左肩の手術を受けて病院のベッドにいた。「4年後へ、ここから頑張っていこう」と再起を誓い、たどり着いた舞台だった。

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