フィギュアスケート男子で冬季オリンピック2連覇を果たした仙台市出身の羽生結弦さん(31)が、人気デュオ「ゆず」制作のNHK東日本大震災伝承ソング『幾重』に合わせた自作の演目を披露した。震災から15年。演技の収録を終えた羽生さんが振り付けに込めた思い、心境の変化など胸の内を語ったインタビュー全文の第3回をお届けします。
「悔しい、もっとうまくなりたい」
―2022年のプロ転向から、もう少しで丸4年を迎えようとしていますけれども、これまでの4年間は羽生さんにとってはどんなものでしたか。
「ずっと突っ走っているなっていう感じですかね。もちろん競技をやっている頃から、シーズンを休むっていうことは一回もなくて、オリンピックで優勝しても、やっぱり次のシーズンで勝ちたいって思ってずっと続けてきましたし、ずっとずっと成長したいと思って、ずっとやってきていて」
「もちろんメンテナンス期間というものを先シーズン設けたんですけど、その期間もずっと突っ走っていたので、自分の可能性を信じて、その可能性をどれだけ押し広げられるか、ということをひたすら考えている4年間だったなとは思います」
―突っ走るその先の、ご自身で設定されている目標やイメージなどはありますか。
「うーん、ないですね。うふふ(笑) 単純に、うまくなりたいんですよ。自分が理想とする演技みたいなものは、正直何か映像で具体的に見えたりとか、どういうことがしたいとかっていうことって、正直具体性はないんですけど、ただ何か自分がパッと思い浮かんだこととか、自分がこう表現したいなって思った時に、実際体を動かしてみると、全然できないんですよね。それがすごい悔しくて。『もっとうまくなる』と思って、そうやってずっとずっと、うまくなりたいなと思ってやっていると思います」
「いまも夢見ている」
―競技時代と比べて、表現面や技術面での極め方、目標などとは、どういうふうに向き合い方が変わりましたか。
「両方ともさらに欲しいなって思って、続けている感じですかね。もちろん、4回転半とかに挑戦しますみたいなことを単独のアイスショーで、2時間半ぐらいの中で挑戦したりとかっていうのは、正直ケガのリスクも大きくて、なかなかできないんですけど、でもずっとずっと、そういうことを追い求めながら練習したいなって思っていますし、いまだにそれを夢見ながら、ずっと体を改造しながら頑張っている最中です。表現面に関しても、もちろん先ほど言ったように、やりたいなって思った時に全然できない自分がいっぱいいるので、やりたいなと思うことがまずできるようにしなきゃ、って必死に勉強しながら頑張っています」
―そのストイックさを支えるものは。羽生さんは何があるから頑張れる、という感じですか。
「やっぱり期待していただけるのと、あとは自分自身が中途半端なものを見せられないなっていう…。何て言うんですかね。プライドとはちょっと違うんですけど、中途半端なものは見せたくないんですよね」
「オリンピックで金メダルを2回取っている人間で、皆さんが期待してくださる理想の姿みたいなものを背負っているので。それよりも、もっと上、もっと上ってずっとずっと思っていて、それができない自分がすごく嫌で悔しいので、頑張れるみたいなところはあります。頑張れるというか、頑張ってしまっているというか、追い込んでしまっている感じですかね」
―頑張ってしまっているというのは大丈夫なものですか。
「ね、大丈夫なんですかね(笑) でもまあアスリートってそういうものだと思っているので。それが僕の今まで戦ってきた中で、自分が上手くなるために必要なことだったと思いますし、この負けず嫌いさとか、自分の可能性を信じるみたいなこととか、そういう気持ちが今までこうやって、ずっとずっと自分のスケートを押し広げてくれた存在だと思うので。ずっとそれは変わらずに、ある意味そこの部分だけは子供のままでというか、競技者のままでいたいなってずっと思っています」
「おにぎりみたいな、一番美味しい形を目指して」
―現在はアイスショーで自ら滑るということ以外にも、座長として全体のプロデュースをされていると思うのですが、そういう時にどういうものからイメージを膨らますのでしょうか。自分の中から出てくるものなのか、外部刺激でインスピレーションを得るのか、どのように表現を膨らませる作業をされていますか。
「実際自分のショーは自分で物語を書いて、自分で全ての監督をして、出演して、ナレーションをして、映像演出をして、みたいなことをやっているんですけど、自分から出てくるものって、何一つ何かの影響を受けてないもの、いわゆる完全なるオリジナルみたいなものって絶対にないって僕は思っているんですよね。生まれた瞬間から何かの影響を受けていると思いますし、僕は弟なんですけれども、絶対にその上の存在から何かしらの影響を受けて、その物心つく前から、きっといろんな影響を受けて言葉を覚えたりとか、仕草を覚えたりとかしているはずなんですよね」
「そういうことを考えると、僕がやっている創作であったりとか、表現だったりとか、いろんな技術だったりとか、そういったものに何一つオリジナルってないなって思っていて、だから全部外部刺激だと思っています。それを全部リスペクトして、自分が見せたいものと、見てほしいものと、見たいなって思っていただけているものを、ギュッてして…。何だろうな、おにぎりみたいな感じで(笑) 一番美味しい形を目指して考えているって感じです」
「おにぎりというか、何も思い浮かばなかったけど、何て言うんですかね。自分がしたいことだけじゃないし、自分から出てくるものってオリジナルじゃないと自分は思っているので、先人たちの知恵とかが絶対に詰まっているものだと思うので、たくさん勉強するし、勉強した上でちゃんと自分からしか出てこない、オリジナルではないけど、自分にしかできないことがきっとあると思うので。自分にしかできない掛け算をたくさんして、それがきっとフィギュアスケートの上でしかできないことがたくさんあって、それが皆さんが見たいものと、皆さんに届けたいものを、ちゃんとちゃんとその上に乗っけられるように、ということはすごく意識して頑張っています」
「下手と思えるから、伸びしろがある」
―プロに転向されてからの4年間の中で、ご自身が最も手応えを感じて、得意になった、できるようになったと思うことと、逆に今後時間をかけて頑張りたいと思っていることはありますか。
「得意なことなんかないです。最近はフィギュアスケート、本当に下手だなって思いながら、フィギュアスケートに向き合っているので。下手だなと思えるということは、まだまだ上手くなれる伸びしろがあるということだと信じて、これからもずっと向き合い続けたいなって思っていますし」
「あとは、実際に自分で物語を書いたりとか、演出のプランニングを考えたりとか、構成を考えたりとかするようになって、すごく多角的にフィギュアスケートと羽生結弦というものをすごく見れるようになったなぁとは思っていて。それをどんどん広げるためにも色んな勉強をしなきゃいけないし、プラス、その広げていった上で、その表現をしたいのであれば、スケートをもっとうまくならなきゃいけないし、そういうスパイラルをずっと続けていきたいなと思っています」
羽生結弦さん
羽生 結弦さん(はにゅう・ゆづる) 宮城・東北高1年だった2011年3月に出身地・仙台市のスケートリンクで練習中に被災。自宅は全壊判定を受け、避難所生活を経験した。冬季オリンピックは初出場の2014年ソチでアジア勢初の男子制覇を果たし、2018年平昌(ピョンチャン)で66年ぶりの2連覇。2022年北京は4位。2014、2017年に世界選手権を制し、2013~2016年にグランプリ(GP)ファイナルを4連覇。全日本選手権は6度優勝した。2016年に世界初の4回転ループ成功。2022年7月にプロ転向を表明後、自ら制作総指揮して出演するアイスショーを企画しているほか、毎年3月には「羽生結弦notte stellata」に出演して鎮魂の舞を披露している。早稲田大卒。1994年12月7日生まれの31歳。












