連載

2025.08.25

誰も見たことのないフィギュアスケートを撮る 映画『ぼくのお日さま』奥山大史監督インタビュー

『ぼくのお日さま』の撮影をする奥山大史監督 © 2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

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 フィギュアスケートを題材に思春期の少年と少女の繊細な心の動きを描いた映画『ぼくのお日さま』。2024年のフランス・カンヌ国際映画祭のある視点部門に正式出品されたこの作品は8月、DVDとBlu-rayが発売されました。

 監督の奥山大史さんは人気アーティストのミュージックビデオやドラマを手がけ、今注目されている気鋭の映画監督の一人です。そんな奥山さんはフィギュアスケートの経験者。子ども時代に習っていたことが『ぼくのお日さま』の製作に結びつき、スケートシーンは自らスケート靴を履いて撮影したそうです。

 奥山さんは、フィギュアスケートをテーマにしたアニメ『メダリスト』の主題歌で、羽生結弦さんが出演して大きな話題となった米津玄師さんの【BOW AND ARROW】のミュージックビデオの撮影スタッフの一員として、羽生さんの滑走シーンの並走撮影に挑みました。

 いずれの作品でも「みんなが見たことのないフィギュアスケートの映像を撮りたかった」と振り返ります。製作への思いや撮影の裏話などをお聞きしました。

『ぼくのお日さま』とは...

 物語の舞台は、雪深い地方の町。吃音で、言葉がうまく出てこない主人公のタクヤ(越山敬達)はある日、スケートリンクで踊るさくら(中西希亜良)の姿に魅了され、見よう見まねでフィギュアスケートを始める。かつてフィギュアスケート選手として活躍し、今はさくらのコーチを務める荒川(池松壮亮)は、そんなタクヤの姿を見て、自分のスケート靴を貸して指導を申し出る。ある時、タクヤとさくらにアイスダンスのペアを組むことを勧めるが…。

 公開情報: 8月29日(金)~9月4日(木)まで、テアトル新宿にて「Making of ぼくのお日さま」との2本立てで、アンコール上映される。 『ぼくのお日さま』公式サイト

 ―『ぼくのお日さま』は公開からおよそ1年がたち、DVDとブルーレイが発売されるそうですね。

 「はい。ちょうど今日(7月24日)商品サンプルが届きました。パッケージもかなりこだわりました。今は配信がとても強いですし、DVDって売れないんですよ。そうなった時に、やっぱりデザインをこだわって、『物』として持っておきたくなる感じがすごく大事になる。映画のパンフレットもそうですが、こだわりながら作りました」

 ー映画の世界観がとても伝わってきます。

「そうなんです。紙質にもこだわりました。DVDとブルーレイの発売が8月2日。公開からだいたい1年が経って、この間に映画祭だったり、映画賞だったり、行かせてもらいました。あと何より映画館ですよね。今回、先行上映からメイン館して上映し続けてくれたテアトル新宿でアンコール上映をやらせてもらうんですが、戻ってこられたという感じがしてうれしいです」

映画『ぼくのお日さま』Blu-ray&DVD

映画『ぼくのお日さま』Blu-ray&DVD

越山敬達さん、中西希亜良さん、池松壮亮さん、奥山大史監督によるオーディオコメンタリーのほか、本作がどのように作られていったのかがわかる「Making of ぼくのお日さま –聖なる記憶にふれる–」、昨年参加したカンヌ映画祭を映した様子を撮った「『ぼくのお日さま』渡航記 –はじめてのカンヌと生牡蠣と–」の2種類のメイキングに、又吉直樹さんが本作の魅力を語るスペシャルトークショーなど、ここでしか見ることのできない映像が収録された豪華版。

【価格】Blu-ray:¥6,600 (税込)、DVD:¥5,500 (税込)
Amazonほか、全国のDVD取扱店・ネットショップにて販売中。発売・販売元:(株)マクザム

姉にくっついて通ったスケート教室

奥山大史監督

 ーあらためて監督のスケート経験からお伺いしたいのですが、フィギュアスケートをなさっていたのは6年半とお聞きしました。
 
 「そうですね」

 ー何歳から始めましたか?

 「ちゃんとやるようになってからで言うと、小1です。 ただ、その前の幼稚園生くらいの時から、フィギュアスケートを習っていたお姉ちゃんにくっついてちょっとずつ遊んでいました。そこから物心つくぐらいの時から教室に通わされていて、さらに意識がちゃんとしてきたら、個人レッスンを始めていました。」

 ー 個人レッスンもされていたんですね。

 「やっていました。新横浜プリンスFSC(神奈川)で。(村主章枝さんらを指導した)福井信子先生に習っていました」

 ー福井先生は、今回の映画の中でも指導されていますよね。

 「そうなんです。この映画でもすごくお世話になりました。映画の中のフィギュアスケートシーンのリアリティは、元アイスダンス選手の森望(かなた)さん(過去のDeep Edge Plusのインタビュー)がかなり支えてくれているんですが、荒川先生役を演じた池松さんのスケートの滑りのリアリティに関して言えば、福井先生の力であり、先生が紹介してくださったスケートの先生たちの力によって実現したという感じですね」

 ー福井先生が教えていらっしゃったんですね。

 「福井先生をはじめとして、福井先生と同じフィギュアスケートクラブの先生たちにレッスンしていただきました。あと池松さんも忙しいので、例えば、茨城で撮影していますという時には、その間に東京に戻って練習はできないけど、茨城だったらできるので、どこか滑れるところないですか?と福井先生に聞いて、リンクと先生を紹介してもらって、池松さんにレッスンを重ねてもらいました」

 ー池松さんの先生の滑りも自然で驚きました。奥山さんご自身が子どもの頃、福井先生に個人レッスンをされていたんですね。

 「福井先生に習っていて、中学になると同時ぐらいにスケートを辞めちゃったんですよ」

 ー小学校は丸々やっていた。

 「 丸々やっていました、と言っても、本当に今選手をやっている人たちからみると、ギュッと凝縮したら3ヶ月ぐらいの密度じゃない?ってくらい、本当にダラダラとやっていました」

 「僕が習っていた2006年頃は高橋大輔選手をはじめ、織田信成選手とか、フィギュアスケートが男子のスポーツとしてもちょっとずつ認知され始めたころで、その流れに乗って習ってるね、いい子だねって感じで接してくれました。本当にみんな優しくて、褒めてもらえて、楽しいから続けていたっていうだけで、普通にスケートを滑ることによる楽しさがあったかというと…。僕は滑るのはうまくはなかったので、うまい人を見ていいなって思ったり。滑るよりも見る方が好きでした」

 ー荒川静香さんもいらっしゃったんですか?

 「いらっしゃいましたよ。佐藤信夫コーチという方に習っていて、でもちょうど僕が習っていた時期は2006年のトリノオリンピックに重なるんですね。だから荒川さんは一気にスケート界のスター、いや国民的スターみたいになっていってかっこいいなと思っていました」

トリノオリンピックのエキシビションの荒川静香さん=2006年2月25日、パラベラ競技場(共同)

 ーコミュニケーションを取ることもあったんですか?

 「たくさんいるちびっ子たちのワンオブゼムでしたね。同じリンクで滑るってことはほぼなかったですけど。いわゆるフラワーボーイ、フラワーガールみたいなものをやってたんですよ。今はどういうシステムなのかわからないですが、リンクで大会があると、そのリンクに所属するクラブ員たちが一斉に駆り出されて。僕も気づいたら、花束を拾っていました。当時から、荒川さんや浅田真央さんがすごく人気があったので、犬のぬいぐるみが大量にリンクに投げ込まれて。子どもたち総出で回収して」

 ーちょうど今も活躍しているようなスター選手が出始めたころですよね。

 「スターが1人じゃなく複数で一斉に出てきたというか、伊藤みどりさんとかの頃とは違って、誰もが知る選手がどっと出てきた流れがあった気がします。フィギュアスケートがスポーツとしても、右肩上がりになっていくぞ、みたいな時に、僕も何となくいた、という感じですね。最初は男の子が少なくて、だんだんと増えてきていました」

 ー他のスポーツは全然やっていなかったんですか?

 「やっていなかったんですよ。ただスケートを辞めちゃった、大きな理由の一つが漫画『スラムダンク』にハマって、小5、6の頃からミニバスを始めていたんです。それで中学校はバスケ部に入るぞと。フィギュアスケートとどっちとも習っていたんですが、やっぱりバスケをやりたいってなりました。でも今はスケートをやっていて良かったなって思うことの方が本当に多いですね」

 ーそれはどうしてですか?

 「大人になってみると、まあこの世代の男でフィギュアスケートをやっているのは単純に珍しいですね。スケートをしていたと言うと、印象に残るというか。少し下の世代になってくると、男性の比率が増えますし、『ぼくのお日さま』の取材でスケートリンクに行ったときも男の子が多くてびっくりしました」

現実的ではなかったフィギュアスケート映画の製作

© 2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

 ーご自身としては、滑るよりも見るのが好きだったということですが、フィギュアスケートの経験がどのように映画へと結びついていくんですか?

 「1作目で、『僕はイエス様が嫌い』(2019)という映画を撮りました。その作品もミッションスクールに通い続けたという実体験が、かなり物語のベースになっています。映画を作ろうとしたきっかけは、大学の卒業制作でした。自分が何を作れるんだろうかと思ってノートに書き出したときに出てきた一つ目が、実はフィギュアスケートだったんです。それは一番わかりやすい自分の実体験であり、それまでの映画でもあまり多くは描かれていませんでした」

 「ただフィギュアスケートって、大学生が自主映画で撮ろうとすると、いろんなハードルがある。まずリンクをどう貸し切るんだってこと、滑れて演技もできる人はどうやって見つけるんだとか。もし見つけられたとしても、その人をどれくらいの期間拘束できるんだといったことも含めて、なかなか現実的じゃないなと思い、言わば諦めたんですね」

 「その時にノートに書き出していたもう一つが、ミッションスクールに通い続けてきたということだったんです。そのアイデアを映画にした直後に、大学を卒業して就職しました。映画はもう作らないだろうと思っていたのですが、第1作が映画祭に行かせてもらったことがきっかけで、映画を作りませんかという話もいただいたりして、そんな流れの中で出合ったのが今回、企画・制作・配給をしてくれた東京テアトルでした」

 「企画会議をしているうちに、やっぱりフィギュアスケートの映画は作ってみたいんですよねって言ったら、それはすごく良いんじゃないかと言ってもらいました。ただ、さっきもお話したように、僕はフィギュアスケートをすごいのほほーんと習っていたので、その記憶を映像にするだけでは映画にならない。でもフィギュアスケートは映画の題材として絶対いい。じゃあ物語をどうするかというところで、かなり悩みましたね」

 「1作目から、2作目となった『ぼくのお日さま』の公開までで5年間空いているんですけど、最初の3年間はフィギュアスケートはどうやったら物語になるんだろうっていうことを考えていました」

タクヤ(越山敬達さん) © 2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

 「自分の中で映画になる、ならないという基準は明確にあって、ただの自分の思い出再現ビデオにはならないようにしたいなというのが強くありました。そんな中で、大きな出会いが二つあって。一つは池松さんに出会えたこと、もう一つはハンバート ハンバートの【ぼくのお日さま】という楽曲に出合えたこと。そこから、グッと映画の実現に向けて動き始めました」

 「でも不安はずっとありました。スケートを滑ることができる、タクヤ役、さくら役を演じられる子がいるんだろうか、池松さんは滑れるようになるんだろうか、そういう一つ一つの壁を本当にいろんな人の力を借りながら、なんとか形にできて、自分が思い描いてた以上のものができたなって気がしています」

「映画的」だと感じたアイスダンス

© 2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
前山 千尋

この記事を書いた人

前山 千尋 (まえやま・ちひろ)

デジタルコンテンツ部記者。2007年入社。青森、京都支局を経て、文化部で美術や建築、教育、ジェンダー問題などを担当してきた。山梨県出身。

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